1300年前のガラスの椀
日本にいる時、古いガラスが好きで集めていた。
集めると言っても、アンティークショップや骨董市で買い求めるのではなく、「発掘」をして手に入れた。古い瓶を発掘する遊びの事を「ボトルディギング」と言い、世界中に愛好家がいる。
昔は穴を掘ってゴミを処理していたが、そういうゴミ捨て場を見つけて掘ると、昔の瓶や瀬戸物が出てくる。こういうゴミ捨て場の事を「ハケ」と呼ぶ。
初めの内はなかなか見つけられないが、コツが判れば、大体の見当がつくようになる。その地域の古い地図が手に入れば、更に効率よくハケが見つかる。
宝物は「大学目薬」の瓶。
大学目薬とは今の参天製薬の事で、1890年に販売された瓶が土の中から出てきた時は飛び上がるほど嬉しかった。小さいコバルトブルーをした「資生堂 一方水」と書かれた瓶も宝物だ。
関東、関西、九州の各地で発掘を行ったが、どこでも目薬の瓶が多く出てきた。
なぜか?
これは勝手な想像だが、昔はカマドを使っていて、その煙で目を痛める人が多かったのではないだろうか。だとすると、目を痛める人は女性が多かったのかもしれない。
出てくるゴミの種類によって、そのハケの古さが判るのだが、明治より古いと瀬戸物、陶器、金物となり、ガラスは出てこない。日本でガラスが普及したのは100年~150年前のようだ。
と言う事をボトルディギングで感じていたが、正倉院にピカピカ光るガラス製のお椀がある事を知って度肝を抜かれた。それも1300年前のペルシャから渡ってきた美しいガラス。えっ、そんな昔に日本にガラスがあったの?と思った。
誰が、どうやって持ってきたのだろう?
当時の人はガラスを見て何を思ったんだろう?
超驚いただろうな。
とても興味があり、機会があったら実物を見たいと思っていた。
オランダに来ても、ガラスが好きなので博物館があるとガラス製品を探す。
そして見つけてしまった、正倉院と同じガラスの椀を。
輝きは失っているがデザインがほぼ同じ。7世紀のイランの物だと説明がされていた。イランは昔のペルシャ。
調べてみると、このガラスの椀はペルシャで数多く生産されていたらしく、割とたくさん出土している事を知った。ただ、長く土の中に埋もれていたことで化学変化が起き、透明な状態の椀はほとんどない。正倉院の白瑠璃椀は、世界で一番状態がよく1300年前の輝きを保っている貴重な椀だそうだ。
なのだが、結構、量産されていたわけで、一方、日本では国宝とされている。
う~ん、国宝には間違いないが、なんかちょっと切ないな。