瞳の色
3か月だけだが、カナダの大学の英会話コースを受講した事がある。
一番レベルの低いクラスに入れられた。皆が片言の英語でワイワイ、ガヤガヤ、にぎやかで毎日楽しかった。特にメキシコ人とは気が合い、親友と言ってくれる奴もできた。彼らのパーティーはハチャメチャに楽しく、出てくる食べ物はどれも最高、現地人しか知り得ない音楽が聴けるのも面白かった。英語よりも、彼らが教えてくれるスペイン語を必死になって覚えた。何しに行ったんだか…。
授業中、先生が「あなたの目の色は何色ですか?」と皆に問いかけた。
日本や台湾、香港では瞳の色を気にする事はないだろうが、カナダでは相手の瞳の色を見ています、との事だった。そして、生徒それぞれの目の色を英語で発音させていった。
自分の番になり、他の日本人のクラスメイト同様に「私の瞳はブラウンです」と答えると、先生は違うという。初めは意地悪を言っているのかと思ったが、違うといって譲らない。そして「あなたの瞳はライト ブラウンです」と言った。
えっ~、そうなの?
確かに、自分はほんの少しだけ目の色が薄いかもしれない。ただ、それはほんの少し、本当にほんの少しだけ。その違いをカナダ人は見分けているという事らしかった。
随分前の話だから、今のカナダは違うかもしれないが、当時はそんなことを言われた。
家の近くの幼稚園の壁に子供たちが遊ぶ姿が描かれている。
子供が描いたような絵だけれども、チビちゃんたちが楽しくなるよう、先生が描いたのだろう。ペンキのカスレ具合からみると、ちょっと前、いやかなり前の絵なのかな?
カナダの先生が教えてくれた様に青い目の子が描かれている。
あれ?黄色い目の子もいる。
これはなんだ?
何人もの子供が楽しく遊んでいる。ただ、その子供たちの全てが白人だ。
今でも、田舎に行けばそのような所もまだあるが、もし、今の先生がこの絵を描くなら、もっといろんな特徴を持った子供たちを描くのかもしれない。そでないと、外国人である私でも不自然な絵だと感じることだろう。この絵から感じたように。
いいとか悪いとかではなく、時代は変わっていると言う事だと思う。
1300年前のガラスの椀
日本にいる時、古いガラスが好きで集めていた。
集めると言っても、アンティークショップや骨董市で買い求めるのではなく、「発掘」をして手に入れた。古い瓶を発掘する遊びの事を「ボトルディギング」と言い、世界中に愛好家がいる。
昔は穴を掘ってゴミを処理していたが、そういうゴミ捨て場を見つけて掘ると、昔の瓶や瀬戸物が出てくる。こういうゴミ捨て場の事を「ハケ」と呼ぶ。
初めの内はなかなか見つけられないが、コツが判れば、大体の見当がつくようになる。その地域の古い地図が手に入れば、更に効率よくハケが見つかる。
宝物は「大学目薬」の瓶。
大学目薬とは今の参天製薬の事で、1890年に販売された瓶が土の中から出てきた時は飛び上がるほど嬉しかった。小さいコバルトブルーをした「資生堂 一方水」と書かれた瓶も宝物だ。
関東、関西、九州の各地で発掘を行ったが、どこでも目薬の瓶が多く出てきた。
なぜか?
これは勝手な想像だが、昔はカマドを使っていて、その煙で目を痛める人が多かったのではないだろうか。だとすると、目を痛める人は女性が多かったのかもしれない。
出てくるゴミの種類によって、そのハケの古さが判るのだが、明治より古いと瀬戸物、陶器、金物となり、ガラスは出てこない。日本でガラスが普及したのは100年~150年前のようだ。
と言う事をボトルディギングで感じていたが、正倉院にピカピカ光るガラス製のお椀がある事を知って度肝を抜かれた。それも1300年前のペルシャから渡ってきた美しいガラス。えっ、そんな昔に日本にガラスがあったの?と思った。
誰が、どうやって持ってきたのだろう?
当時の人はガラスを見て何を思ったんだろう?
超驚いただろうな。
とても興味があり、機会があったら実物を見たいと思っていた。
オランダに来ても、ガラスが好きなので博物館があるとガラス製品を探す。
そして見つけてしまった、正倉院と同じガラスの椀を。
輝きは失っているがデザインがほぼ同じ。7世紀のイランの物だと説明がされていた。イランは昔のペルシャ。
調べてみると、このガラスの椀はペルシャで数多く生産されていたらしく、割とたくさん出土している事を知った。ただ、長く土の中に埋もれていたことで化学変化が起き、透明な状態の椀はほとんどない。正倉院の白瑠璃椀は、世界で一番状態がよく1300年前の輝きを保っている貴重な椀だそうだ。
なのだが、結構、量産されていたわけで、一方、日本では国宝とされている。
う~ん、国宝には間違いないが、なんかちょっと切ないな。
フライドポテトはマヨネーズ
茨城県の町に2年ほど勤務したことがある。
特急が停まるのに駅前にタクシーがいる事は稀。ほどよく田舎の駅で、電車に乗り遅れると次が来るまで結構待たなければならない。ホームには立ち食いそば屋があって、ある時、電車に乗り遅れてすることがなかったら、きつねそばを注文した。それからは電車が来る少し前に駅に行ってそばを食べる様になった。
サザエさんと同じくるくるパーマの小さなおばさんがそばを茹でてくれる。つゆはぬるく、そばも美味しいと言う訳ではなかったが、おばさんがあやつる茨城弁を聞くのが楽しくて通った。食べる時間が少ない時は「おばさん、すぐに作るからよ。電車の中で食べな」と言ってくれた。そして必ず「ネギ、サービスしといたから」とネギを山盛りにしてくれた。なんか、嬉しかったけれど、ネギは多過ぎるとそばの味が分からなくなるから普通で良かったんだけど。
オランダの駅には立ち食いそば屋はないが、代わりにフライドポテト屋がある。
夕方、仕事帰りのオランダ人たちは、熱々のフライドポテトをほおばって次の電車が来るのを待つ。男性も女性も、若い人もお年寄もフライドポテトを立ち食いする。飲み物がないと喉に引っかかりそうだが、多くの人は飲み物は注文しない。そして、ほぼ全員がマヨネーズのトッピング。オランダではケチャップではなく、マヨネーズで食べるのが基本だ。
みんな大好きフライドポテト。
なのだが、どのお店もほぼ同じ大きさ、同じ味。トッピングのマヨネーズもどこに行っても変わりなし。そして値段も大体同じ。写真のポテトはMサイズで3.50ユーロ。マヨネーズを付けたから25セントアップした。日本円で520円ぐらいかな。日本人の私にはちょっと高い気がする。
そんなに好きならフライドポテト専門店があったり、当店自慢のユニーク味付けなんて店もあってもいい気がするが、オランダではそういう味へのコダワリは期待できない。それがオランダなのだ。
ただ、彼らもこだわる所がある。それは「フライドポテトは熱々ではければならない」だ。だから、客の目の前で揚げたてを出す。ある時、オランダ人の友人とポテトを注文したら、ぬるーいのが手渡された。途端に「これ、熱くない。取り替えて!」と言い、揚げたてが出来るのを待って取り替えてもらった。
言いたい事をハッキリ言う人たち。
私の様に「煮え切らないで、なんとな~く我慢する」と言う事はしない。
これもオランダだ。
フェルメールの空とウクライナの旗
去年の春ごろだったか、花壇を掃除していたら年配のご夫婦に声を掛けられた。
ギボウシの花を指さして何かを言っている。花の名前が知りたいのだと思い、「ホスタと言います。葉も大きくてキレイですよね」と英語でお答えした。が、通じていない様子。
そもそもオランダ語ではないし英語でもない。聞き覚えのない言葉を話された。旦那さんは瞳がグレーで肌の色がロウソクのような白い色。オランダでは見かけない雰囲気。
言葉がどこかポーランド語のようにも聞こえたので「私は日本人です。あなたはポーランドの方ですか?」と尋ねると、違うと首を振られる。そして「キーウ、キーウ」と言われた。
そう、ウクライナから避難されて来た方たちだった。
2019年11月。
武漢で新型のウイルスが発生する1か月ほど前だが、園芸関連の展示会でロシア人の男性と知り合った。私が取り扱う花に興味を持っているようなので声を掛けたが、聞こえているのか、いないのか、ハッキリした反応がない。ただ、声を掛けて欲しいのだとは判り、いろいろと質問をした。
「ロシアで花屋をやっているのですか?」
「ロシアではどんな花が人気ですか?」
「ロシアでは花屋は儲かりますか?」などなど。
年は40歳になっていないかな?もしかすると30代前半か?
一方的に質問をしていたら、「ロシアでは日本のアニメが人気だよ」と返事をしてくれた。若い人の中には日本に興味を持っている人が多い事、アメリカよりも身近な国に感じている事なども教えてくれた。
それからは、徴兵制はあるのか?とか、税金は安いのか?とか、ロシアの格闘技のサンボに興味があるがあなたは出来るのか?とか、実はまだ日本には忍者がいるが知っているか?などなど。適当な事も言いながら、楽しく大笑いして話が出来る様になった。
そこで、とっておきの質問をしてみた。
「政府の悪口を言うと、ソ連時代の様に警察に捕まることはあるの?」と聞いてみた。「スパイもやっぱりいるんでしょ?」とも。彼は「今はほとんど捕まることはないよ」と言ってニヤリとした。「ロシアはね、君たちが思っているより悪い国ではないんだよ」とも付け加えた。
彼とは友達になれそうな気がした。
近所にウクライナ ナンバーの車が停まっている。
以前ほどではないが、ウクライナの旗を掲げている家がまだ何軒かある。
フェルメールがデルフトで描いた空の様だと思い、上の写真を撮影した。
そこにも、ウクライナの旗が写っている。
テレビで映る戦争は現実であり、割と近くにある。
高価なススキ
2週間ぶりにスッキリ晴れたので散歩に出かけた。
ライデンの駅前の空地にススキが茂っていた。
あれ? なんか違うぞ。
イギリス出身のガーデナー、ポール・スミザーさんが好きで軽井沢のガーデンを訪れたり、本を読んだり、彼の真似をして山菜堀りをスコップ代わりに使っている。
スミザーさんは日本のギボウシや山野草に憧れて来日されたそうだ。初めて日本に着いた時、成田空港の周辺に生い茂っている一面のススキを見て、なんて美しいんだろうと感動された。でも実は、放置された空き地に茂るフツーのススキだったのだが。
日本では厄介者のススキ。でも、こちらではお金を払って手に入れる園芸植物だ。
ススキだけでなく、イネ科の多くが畑で生産され、いい値段で売られている。
球根の産地のリッセ(Lisse)に行くと、ひと畝ごとに、草丈や葉の色が違うススキやイネ科の仲間が作付けされているのが見られる。
ガーデンに高低差が作れるから人気があるが、日本人の私は「やっぱりススキだよね、あっちはネコジャラシでしょ」と思ってしまう。
上の写真は、ホッタラカシの原っぱではなく、ガーデナーがデザインして植えたススキ。ドワーフで草丈が低い。この品種だったら空地にハビこってもいいかな。